ひのひなどりから

主に宝塚について。それ以外のことも書くかもしれません。

「蒼穹の昴」玲玲、文秀、譚嗣同の話

蒼穹の昴」原作を読み返していてふと思ったことがあり、
宝塚版での文秀と玲玲だけ見ている方の目に触れるのが忍びないので
ふせったーに書いてたらやたら長くなったのでこちらに。

原作ネタバレしかないので未読の方はお気をつけください。

 

 

終盤、失意の文秀が酔っ払って玲玲を打ち据えて殺してしまう寸前までいったときに思ったことが
「こいつが死んでしまったら、食事は誰が作るのだろう。洗濯は誰がしてくれるのだろう」だったことと、

その少し前、譚嗣同が婚約してから家に通って世話を焼いてくれる玲玲に言った
「掃除とか洗濯とか、そういうことはもうしなくていいですから、この寝台で、ゆっくり寝て行ってください。」
意図的な対比だったんだろうか。

 

文秀が最後に至った結論と、康先生の「人間には誰しも分というものがある」という考え方を借りるなら、

生まれながらに裕福で地位もあった文秀にとっての玲玲は、
(少なくとも文秀の発想の中では)傍で"面倒を見てやる"ために家事手伝いという立場を"与えてやる"必要がある存在だった。
(同じように春児を科挙試験に連れて行ったときも家僕という役割を"与えてやって"いた。)
だから彼女が自分に尽くすことを当然のものとして受け入れていた。

対してかつて"持たざる者"だった譚嗣同にとって、たとえ今は身分や教養に差があっても、玲玲はただの同じ人間だった。
だから彼女に何かを与えることも、与えられることも必要なかった。(※ここは蛇足を後述したい)

・・・まぁそういう立場や価値観の違い以前に、
文秀にとって玲玲は義兄弟の末妹で糞拾いしてた小さな頃から知っていて、
譚嗣同は小綺麗な年頃の娘になった玲玲しか知らないわけだから同じ土俵で考えること自体無理があるんだけど、
下宿のほっこり場面と船上の出来事が直接的に対比になってるんだとしたらあまりに強烈でワーッッてなって書いてしまった。。


更に言うと、文秀が玲玲を通して「四億の民のために、施すのではなく尽くすべきだった」ことに気付いたのは、
一つに、彼女(民衆)があまりに無力で、例え理不尽に殺されようとも抵抗する力も持たないということ。
もう一つに、無力で学もない彼女が悲しいほどに忠と悌(主君や兄、年長者に従い真心から尽くすこと ※全然詳しくないにわか知識ですを体現していること、という2つの気付きによるものという認識で概ね合っている…はず。
そして、民衆の無力さを譚嗣同は初めから知っていたんですよね。

もちろん状況も何もかも全然違うので比べようもないんですが、
自分に対して無条件に尽くす玲玲を見て
「己も同じように民に尽くさねばならない」という結論に至った進士中の進士である文秀と、
「そういうことはしなくていい」と言う洋学研究者の譚嗣同、というのも
なんだか二人の特性を現しているようで面白いなと思いました。


それにしても、2巻の時点で「困ってる人の気持なんてちっともわからないんだから」という玲玲の言葉に
文秀も康先生も引っ掛かりを感じていたのに、ついぞ最後まで気付かなかったのは
持つ者と持たざる者の世界の違いをまざまざと見せつけられるようですよね。。

文秀は譚嗣同だけが四億の民の痛みを知り、民とともに悲しみ苦しむことのできる英雄だったと回想していますが、
たぶん譚嗣同にとってはそれが自然なことだったんですよね。
彼が最初から変法派の仲間たちにそれを伝えることが出来ていたら何か変わっていたかもしれないけれども、
逆に仲間たちがそれを分かっていないことを、彼は気付いていなかったのかもしれない。
あるいは、自分の力ではそれを伝えられないと思っていたのかもしれない。


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以下蛇足。

譚嗣同から玲玲へのお願いは唯一「結婚してください」だけで、
何気ない会話でも「しなくていいよ」「聞いてくれますか」といったように明確に何か要求する言葉を使わないのは、
浅田先生が意識して書いておられるのか、自然とそうなったのか…。

そして、あなたを幸せにしますとかそういう類のことも一切言わない。
それは本人が言うように何をしてあげたらいいのか分からない、という理由もあるかもしれないけど、
与えられることを望まないし、自分が相手に何か与えてあげられるとも思っていない、
という愛が私はめちゃくちゃ好きだなという…はい…。

ただ、下宿の場面の時点で彼は死にに行く気はないまでも
既に死ぬ覚悟はしていたと思うので、そもそも言えないだろうなというのもありますよね。。
その覚悟を告げないまま、婚約相手に「一生愛し続けていいですか」と許しを乞うことこそ
彼にとって一世一代のお願いだったのかもしれない。

そんな人間が、使命とあらば国を掌握する軍のトップを胆力をもって飲み込まんとするのだからたまらない。譚嗣同。。

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宝塚版では文秀は結婚していないので、玲玲が文秀への恋慕を断ち切る決定的なきっかけが無いんですよね。
だからたとえ玲玲が原作と同じような好意を譚嗣同に抱いていてもプロポーズを受けることはないだろうと思える。
トップコンビの関係性を作りつつ、原作で大事な要素である玲玲と譚嗣同の関係性も感じられて良いなぁと。

 

譚嗣同の台詞や活躍が文秀に移されているのも、
原作の文秀が色々な過ちを犯してようやく気付いたことを
宝塚版の文秀はその時点で理解しているということになり、ヒーロー性が高まっていて良かったです。

そのぶん譚嗣同の優秀さや胆力が伝わる場面はほぼ無くなってしまいましたが、
彼の何よりの美点はやっぱり人を思うやさしさだと思うので、それが強調された舞台版もまた良いなぁと思います。

 

 

というわけで、この3人の関係性が面白いなぁと思ったところから譚嗣同くん語りに移行してしまいました。
譚嗣同さん実在の方なので、なんか過剰に夢を見てしまっている気がして申し訳ないんですけど…浅田先生が書かれたからしょうがないよね。(責任転嫁)

 

雪組公演「蒼穹の昴」、再び見られる日を楽しみにしています。