ひのひなどりから

主に宝塚について。それ以外のことも書くかもしれません。

「蒼穹の昴」譚嗣同の決断はこういうことかなって大千秋楽に感じたこと

蒼穹の昴、公演の完走本当におめでとうございました。
誰ひとり欠けることなく完走する、その努力を重ねてくださった出演者や関係者の皆様、
そして彼女たちを守ってくれた舞台の神様にただただ感謝です。

 

さて、大千秋楽にして日本公使館のシーンで思ったことなのですが。

春児が「粥や豆よりうんと大事な夢を恵んでくれた」と語るとき、
後ろで譚嗣同がにっこり笑うじゃないですか。

あの時、譚嗣同は春児のことを好きになって、信頼したんだろうなと気付いて。

だから彼の願いを叶えるためにも"文秀を生かす"決意を固くしたんだろうなと。

 

今までは春児への祝福とか、彼の言葉への共感とか、そういう気持ちから来る笑顔だと感じていて。

多分それはそうだとは思うんですが、もっと根底のシンプルなところで
譚嗣同自身が春児という人間を好きになったんだ、と思ったら
個人的に色んなパーツがパチンパチンとハマっていったような感覚があって。

 

譚嗣同が、春児や白太太のお告げのことを元々どれだけ知っていたかは分かりません。

でもたぶん、文秀と春児の大体の関係や、玲玲と兄妹であることは知ってたんじゃないかな。原作で順桂は知っていたので。


とはいえ譚嗣同が実際に知っている春児は「西太后の側近で誰からも一目置かれている高級太監」でしかなかったはずで、
あの場で初めて「文秀が弟分として可愛がっていた男の子」としての彼を知って、
彼の純粋さ、真心、強さ、愛らしさ、好ましいところを沢山知って、
既に死を選んでいたあの場で、譚嗣同はまた愛する人を増やした。

 

だって大好きな玲玲の兄だもんね。
尊敬して信頼する文秀の弟分だもんね。

元々「大切な人たちの大切な人」とは認識していたかもしれないけど、
その事実に納得する春児の人柄に触れて、
人間として好きになると同時に、自分にとっても大切な人になったはず。

 

そして、春児がどれだけ文秀を必要としているか、
文秀がどれだけ春児を大切に思っているかも感じたはず。

春児が離れ離れになってもずっと玲玲を想っていると知って、
この素晴らしい兄と玲玲を再会させてあげたいと思ったかもしれない。

 

だから春児のために、玲玲のために、そして文秀自身のために、
文秀をここに残していこうと決めたんじゃないかな。

どれだけ難き道でも文秀さんなら大丈夫だと信じて。

 

 

 

ちょっと時系列が戻りますが、
譚嗣同が文秀の身代わりになったようにも見える決断を改めて考えると、
そもそも最初は2人とも亡命しないつもりだった。
つまり2人とも死という選択肢しか残されていなかった。

でも譚嗣同は伊藤公の話を聞いて、「自らの血で将来の革命家たちの勇気の源になる」ことを自分から選ぶ。

志を信じて尽くす、その行動として自分が考える最良はこれなのだと。

 

この時点では、文秀は伊藤公の言葉に迷いは生じつつも、やはり亡命は選べないと思います。
(GRAPHのトークDXでも、最終的に生きる決意をするのは譚嗣同の処刑の後だと彩風さんが語っていた)

そして譚嗣同も、文秀がどう決断しようと口を挟みはしなかったんじゃないかな。
伊藤公の言うように文秀は生きるべき人だと思っていたかもしれないけど、
同志として彼の意思を尊重したんじゃないかな。

原作でも、伊藤公の話を聞いても文秀の決意は変わらず、2人で衛門に向かう(捕まりに行く)んですよね。

 

そこに春児が現れて、文秀に生きてくれ、運命なんて変えられると泣き喚いて頼む。

文秀は更に迷う。一方で譚嗣同は文秀を残そうと思う。

 

そう、だから譚嗣同は文秀の身代わりになることを選んだんじゃなくて、
自分が愛する3人のためにそうしたいと思ったから文秀に生きるように頼んだ。

そして四億の民のためにも文秀には生きて、未来をつくって欲しかった。

「ここに残ってください」「難しい方を選んでください」
ただ台詞そのままの意味だったんだなぁ。

 

だって見知らぬ物乞いに迷わず手持ちの全財産あげちゃう(原作)ような、
人のものなのに反射であげちゃう(宝塚版)ような人だもんな。

自分の血を未来のために使うのは志のためだけど、
文秀を生かしたのは、彼が常に持っている優しさや愛がそうさせたんだろうな。

この公演に懸ける想いとして諏訪さんがパンフレットに「愛」と書いていましたが、
本当に愛の人なんだなぁ。

 

 

 

譚嗣同は「将来の革命家たちの勇気の源になる」ために死を選びますが、

彩風さんがトークDXで
「処刑の時に譚嗣同の血を全部浴びるような感覚になり、それを一滴も無駄にしちゃいけないと思う。
自分は生きなければならない、のか?と。」
というようなことを仰っていて、
譚嗣同が最初に勇気を与えた相手は文秀だったんだな、と。

もう勇気とかそういうレベルじゃない、宿命を与える重さですけど、
確かに譚嗣同のこの行動によって文秀は生きる道を歩み始めた。

 

 

 

そうそう、原作でも譚嗣同が春児に格別の好感を持ったことは
「君とは兄弟になりそこねた。心残りといえば、それだけだな」
という台詞で十二分に示されているんですが、

宝塚版での諏訪さき譚嗣同のあの笑顔は、そこにある愛をリアルに感じさせてくれたというか。

リアルというか、言葉では表現しきれない感情そのものというか・・・
まさに舞台ならではだったと思います。

 

 

 

最後に、文秀も譚嗣同も2人とも死ぬつもりだったとき
玲玲のことどうするつもりだったんだよ!ばか!と思わずにはいられない件について

そこは文秀の自宅で変法派の集会を開いてたくらいなので、玲玲も覚悟はしていただろうし、
変法派の人たちの覚悟は言わずもがな…というところでしょうか。。

(順桂なんて妻子どころか大勢いる一族も皆殺しになると分かってあの行動してますからね。。)

 

そもそも玲玲のような人たちを救うための変法維新で、
玲玲自身も青海にいた頃から「文秀が進士様になって百姓を救ってくれる」ことを願っていて。

だから譚嗣同は、玲玲が目を逸らさずに最期の仕事を見ていてくれて本当に幸せだっただろうな。

 

こと譚嗣同に関して言うと、
彼が玲玲にプロポーズしたのはもちろん自分が玲玲と一緒になりたいからだけど、
お嫁に行けるなんて思ってもみなかった、と戸惑う彼女にかける言葉を聞いていると、
「彼女に幸せを手にして欲しい」という願いも感じます。

 

カフェブレできわちゃんもお話されていましたが、
玲玲には「自分が幸せになっていいんだろうか」という思いがあって、
それが譚嗣同には分かるんだろうなと。
人の情けなしでは生きてこれなかった者同士だからこそ。

 

今までずっと人の情けで生かされてきて、その恩を返すために生きていたところに、
そうではない自分だけの人生を突然差し出されたのがあの時の玲玲なんだと思います。

 

その「自分が玲玲を好きで一緒になりたい」という願いと、
「玲玲に幸せになって欲しい」という願いは別物なんですよね。

僕のこと嫌いですか?と聞いてしまうくらいには
自分が彼女を幸せにできる自信なんて持っていないわけなので。

 

宝塚版ではかなり割愛されていますが、原作の譚嗣同の
「いいことなんてひとつもなかったけど、だからひとつくらいわがままを言ってもいいかと思って。
だめですか、あなたにとっては、やっぱりいいことじゃないですか」

って台詞が大好きで、ここに彼の正直な気持ちが全部詰まっていると感じます。

 

で、だいぶ脱線しましたが、
「自分だけの幸せを手にしていいんだよ」と伝えて、玲玲がそれを受け入れてくれた。

それだけで譚嗣同の願いは達成されたんじゃないかな。
それが彼から玲玲にあげたかった、一番の贈り物だったんじゃないかな。

だから日本公使館ではもう迷いなく、
自分の志のために決断が出来たのだと思っています。

 

 

・・・でも、受け入れてくれたってことは彼女にとっても「いいこと」だったわけで、
だからやっぱり玲玲だって譚嗣同に一緒にいて欲しかったはずで、
譚嗣同だってそれを分かってないわけないと思うんですよ。

 

ねぇ、だからやっぱり最期の選択は譚嗣同のわがままなんですよ。

 

原作では譚嗣同が袁世凱の説得に赴きます。
宝塚版での文秀と同じように、その場で殺される覚悟も持った上で。

自分が説得にあたると名乗りを上げ、袁世凱の元へ向かうその前日、玲玲に
「死ぬまで、あなたのことを、今と同じように愛し続けていいですか」
と許しを請うんです。

ものすごくわがままじゃないですか・・・。
きっと譚嗣同の一世一代のわがままなんだろうなって何度か読み返しながら思ったんですけど。

 

宝塚版でも色々考えてたら、その原作を読んだときの感覚が蘇りました。

 

だから玲玲さんがそんなわがままも受け入れて、自分の志を信じてくれて、
最期まで目を逸らさずに一緒にいてくれて、本当に幸せだったね、復生・・・。